都会男「疲れたから北海道行こうかな?」 道民「舐めんなよ」

またちょっとした絵日記です。
 


 

都会にあふれる”スタバ男”の憂鬱

 

新宿で信号待ちをしているときに、スタバのカップを持った男性2人組が隣にならんだ。

 

スタバのカップを持ち歩いてる人って、あの緑の女性のロゴをブローチか何かだと思ってる気がする。カップを持ってはじめて「コーディネート完成☆」って感じ。

 

スタバのカップを持った男性

 

私はそのちょっとした優越感がサムイと思っているし、道端にスタバのゴミが落ちてるのを見ると「これが真実だ」って思うけど、ファッションアイテムにしたいくらいスタバのブランド力が高いということで、それはやっぱり普通にスゴいと思う。

 

そんな都会にあふれる”スタバ男”の1人が神妙な面持ちで、友人であろうもう1人のスタバ男にこう言った。

 

「俺は東京でたことないからわからないけどさ〜、たとえば北海道の田舎とかに住んだら、年収とかキャリアとか気にしなくてすむのかな?と思ったりする」

 

スタバのカップを持った男性2人組

 

ほう。

 

どうやら、スマートにスタバ片手に街を闊歩していても、年収やキャリアに対して憂鬱な悩みをかかえているようだ。

 

これは、北海道の田舎で生まれ育ち、いま東京に住んでいる私にとっても、一度は考えておきたいテーマだった。

 

田舎の人は年収・キャリアを気にするのか?

 

田舎の人は年収・キャリアを気にするのか?

 

北海道のド田舎で青春を過ごした私の肌感覚では、道産子(特に田舎の人)は「キャリアと年収が結びつく」という感覚がそもそもない気がする。

 

年収は気にしている人も多いと思うし、そりゃもちろん誰だってお金を持っているに越したことはないと思って生きているけど、「だからキャリアを積もう」と日々考えて暮らしているわけではない。

 

私の田舎では、ほとんどの家庭がなんらかの自営業をしていて、学生の頃から親のお仕事を手伝っている人も多かった。

 

ペンションを貸し出したり、農家で畑を耕したり、飲食店で出前をしたり・・

 

しかもそれで高校生のうちから結構な額のお金を手にして、早々に車を買ってる人もいた。

 

つまり「働く=サラリーマン」をイメージしていないから、“転職をする”とか”キャリアを築く”という感覚があまりないのかもしれない。

 

北海道の中でも札幌は、まだ東京と感覚が近い方だと思うけど、それでも東京ほどキャリア志向の人は多くない気がする。

 

女のイラスト

 

お仕事仲間であっても「友達」みたいな距離感だから、ライバル視して「相手を蹴落としてでも出世したるぜ!」みたいな気持ちは薄い。(会社によるとは思うけど)

 

私ですら、もし今北海道に帰って仕事したら「ゆるふわだな〜」「ツッコミどころ満載だな〜」ってもどかしくなるだろうと想像するくらい、東京に比べて内容も薄いしスピードもゆっくりしているのだ。

 

狭さ特有の「保守的な文化」に耐えられるか?

 

だから、スタバ男がもし都会のキャリア志向に疲れていて、田舎のゆるふわな仕事環境にあこがれているのだとしたら、やってみる価値はある。

 

きっとお仕事に対する意識や価値観は変わるし、北海道は自然とかご飯とかすばらしい素材がたくさんあるから、新しいことを始めるにも適しているかもしれない。

 

でも、スタバ男が見落としている点が一つある。

 

それは、田舎の人は都会以上に保守的であること。

 

それは、田舎の人は都会以上に保守的であること。

 

都会の人で保守的な人は、本当に一部の富裕層とか大企業だけだ。政治家もそうだけど、彼らは伝統とか慣例を大事にしていて、なかなか新しいことをやらない。

 

やらないというより、知らないし知ろうともしない。そもそも眼中にないのかもしれない。

 

そこには悪意とか焦りといったネガティブな考えはない。狭くて生ぬるい世界で生きている人間たちに、当然にまかりとおっている文化がある。

 

同じような文化は田舎にもある。しかも物理的な狭さや品の悪さも相まって、人によっては都会以上に居心地悪く感じる、最悪な保守文化の可能性すらある。

 

最悪な保守文化

 

もしもスタバ男が年収やキャリアから解放されて「田舎で畑仕事でもして、悠々自適に暮らしたい」と夢見ているなら、田舎の不自由な部分に目を向けてみる必要がある。

 

四方八方をふさがれた四角い箱に入れられて、顔なじみとだけ馴れあい生きていき、そこから長年出られないような窮屈な感覚。

 

東京に人が集まるのは、箱から出て自由になりたいからに他ならない。

 

まずは東京で家族経営の会社に働いてみて、その不自由な環境が苦痛でないか試した方がいいかもしれない。

 

そもそも都会男、年収・キャリアを気にしすぎじゃない?

 

そもそも都会男、年収・キャリアを気にしすぎじゃない?

 

「都会の男って、みんな『東京カレンダー』愛読してるの?」ってくらい年収・キャリアを気にしている。

 

スタバ男にしろ、他者からどう見られるかとかステータスが先行しているから、年収やキャリアが気になって仕方ないのではないだろうか?

 

諦めたくない気持ちがあるのか、周りがそうしているから自分もそうでなければいけないという使命感にかられているのかわからないけど。

 

少なくとも、「仕事を楽しんでいる人」ではないように見えた。

 

キャリアを積むために、年収を上げるために、仕事をしている人。仕事をさせられている人と言ってもいいかもしれない。

 

スタバのカップを片手に持った、資本主義の犬である。

 

数字にとらわれる人生、疲れないのかな?

 

数字にとらわれる人生、疲れないのかな?

 

本来なら、その人から年齢や体重や年収や、ありとあらゆる数字をとった姿のままで評価されるべきだと思う。

 

だって年収がたとえ100億としても、ズルいことして稼いだお金だったり親の七光りだったりしたら、お金の価値はもちろん、その人の価値も低くなるから。

 

だけどみんな、わかりやすいから数字(結果)が大好きで、背景とか過程とか、その人を物語る1番おもしろいところを見ようとしない。

 

そもそも結果がでていない人の話には耳も傾けない。だから一度結果をだしてしまった人は、結果を出しつづけなきゃいけなくなる。その人本来の希望や自然の摂理と関係なく、誰かが求めている限り結果を出しつづける必要があるのだ。

 

そうすると、仕事はおろか、人間としての自然な姿(ただボーっと死に向かうこと)すら怖くなるのではないだろうか?

 

仕事はお金や名誉などの目的を果たすための一つの手段であると言えるけど、まずは人間としての目的が大切だ。突き詰めると、私たちは目的などもって生まれてきていないから、本当は仕事なんかやらなくてもいいのだ。

 

人間が生きる目的とはなにか?

 

人間が生きる目的とはなにか?

 

よく仕事で「手段が目的化してしまうこと」について熱く語られることがあるけど、私からすると仕事自体が手段だから、そう話している人こそが「手段(仕事)が目的化」していて、なんとも皮肉に感じる。

 

たとえば渋沢栄一みたく仕事に目的やいきざまが現れることもあるとも思うけど、ああいうのは仕事だけじゃなく「自分の人生の目的」をちゃんとわかっている人だけが奇跡的にたどり着けるものだと思う。

 

(渋沢栄一は、「武士にならずして自由や権利を手に入れる道筋をつくること」を使命と感じていたそう)

 

でも私も含め、大体の人が「これこそが私の使命だ!」と自信を持って言えるような「人生の目的」を持っていない。=人生の目的は、「自然なこと」であると思う。

 

自然というのは、この世に生まれて、病気になるかもしれないし子どもも生むかもしれないけど、そのあとでただ死に向かうこと。

 

仕事は人工的なものだし、ただのマネーゲームなので、自然とは基本的に共存しない。むしろ反比例してる。

 

仕事と自然の反比例図

 

だから、人生の目的と反して働くことに違和感をかかえたまま、とりあえずお金のために仕事をする羽目になる。

 

そして、「仕事つらいな」「胃がいたいな」「ただゴロゴロしてお金ほしいな」みたいな考えに行き着く。

 

でも、それでいいのだと思う。重ねていうけど、人間が生きる目的は、究極をいえば、「ただ自然にかえること」なのだと思うから。

 

時間もお金もほしい人は経営者になったりするのかもしれないけど、経営者になるにも並々ならぬ努力は必要だし、自分が手を動かさないにしろ、人生のほとんどの時間を仕事にささげる決意が必要である。仕事は資本主義におけるマネーゲームなので、精神をすり減らすことも多い。しかも、その道を選んでも、成功できる確約はない。

 

そもそも、「なにかを必ず成し遂げたい」という強い意志が必要だし、そんなものは、誰もが持っているわけではない。普通に生きて、普通に死ぬ、これ以上に幸せなことは他にないのだ。

 

結論:スタバ男は、北海道に行かなくていい

 

結論:スタバ男は、北海道に行かなくていい

 

いつのまにか、すごいところまで話が飛躍したけど。結論、スタバ男は、北海道に行く必要はないと思う。キャリアを追うことに疲れつつもスタバを好んで飲んでいることから、「俺はこんなもんじゃないんだぜ!」という隠れた闘志が透けて見える。そういう人は、やるところまでやった方がいい。

 

しかも、スタバを好んで飲むような奴に、田舎暮らしは無理だと思う。だって、田舎にはスタバがないのだから。

 

美味しい湧き水は飲み放題だけど、スタバ男がそんな味気のないもので満足できるのか?

 

味気のない水ばかり飲む人生、顔なじみの人としか会わない人生、他人から干渉される人生、謎な暗黙のルールに縛られる人生。

 

私はやってみて思ったけど、田舎暮らしは、タフな人しか無理だと思う。スタバのコーヒーに泥が混じってても、「これもまたいいね!」って飲める人しか無理だと思う。

 

だから、北海道を舐めるな、まずは自分がどんな人生がいいのかを考えなよ、本当にやりたいことはなんなの、何もないならそれが正解なんだよ、キャリアなんて考えるのやめてとりあえず寝なよ、って思う。

 

以上。(なんの話?!?!)