会って5分で人生を語りだす2人の女

こんばんは。いま深夜0:00をまわったところなので、ここらですこしだけセンチメンタルな日記を残してもいいですか。(明日の朝には恥ずかしくなって消すかもだけど)

 

 

会って5分で人生を語りだす2人の女

 

会って5分で人生を語りだす2人の女

 

今日、7年ぶりに会う友だちと遊びまして。

 

7年間会ってなかったけど、おなじ北海道からの上京組で親近感はあったし、たまにその子がかかわっている仕事のイベントとかに呼んでもらってたから、久々な感じはしなかったんだけど・・

 

その子は知らぬ間にフリーに転身していて、もともと優しくてたくましい子だったけどさらにさらに磨きがかかっていて、「7年ってスゲエ・・!」って月日の恐ろしさを感じたわけです。

 

自分は7年で何が変わったんだろう・・ずっと殻にこもってばかりで、自分のコンフォートゾーンのなかでぬくぬくしてるばかりで、なんにも変われてない気がしてきた。

 

その子は固い意志を持っていて、「こういう社会にしたい!」って目指すものもハッキリしているし、「こういう仕事はしたくない!」って好き嫌いもハッキリしていて。

 

カレー屋さんの席について5分後に、もう早速そういう核心的な話ができる人で、(というか7年分のあれやこれやがダダ漏れした)カレーも冷めるほどに夢中で話しこんでしまいました。

 

それぞれがかかえる解決したいこと〜ありがとう感謝リスペクト〜

 

それぞれがかかえる解決したいこと〜ありがとう感謝リスペクト〜

 

どうやら私たちには、問題を察知したら使命感にかられるという共通点があるようでした。

 

我々が問題視しているところが重なる部分もあって、結局全部繋がっているんだなと再確認・・

 

話した内容を私の中だけでとどめておくのはもったいないから、メモを一部のせようと思います。

 

家族に縛られる人多すぎ問題。家族の呪いにかかって、視野が狭まって苦しくなっている人は多い。毒親と自分を切り離すべき。別に親じゃなくても愛はどこにでも転がっていて、それをポイントポイントで掴めば楽しく生きていけるし、選択肢も広がる。「家族」とか「恋人」とか「今目の前にある状況」以外の選択肢を知るきっかけがないことが問題。核家族だから、子どもたちはそれぞれの家庭のルールはわからない。だから自分の家庭が普通だと思ってしまう。毒親に対して違和感があったら、そこから自分で考えて動けるようなメンタルづくり・選択肢を提示する。それこそ大人がサポートすべき。

 

男尊女卑に違和感あり。面白い人だと思って会っても、すぐ恋愛に持っていこうとする男が多すぎる不条理。フェミニストほど主張したいことが多いわけじゃないけど、普通に生きてるだけで苦しいこと結構あるよな。そういう苦労は自分らの代で終わらせたい。だから仕事で舐められたくないし、一線を超えてこようとするかどうかが人間関係を築くかどうか判断の分かれ目になる。そもそも男は逃げれるし女は男に比べて稼げないから、シングルマザーって夜の仕事せざるを得ない人が増える。搾取構造になるのは、社会のしくみがバグっているのはもちろんのこと、選択肢を知らない無知が問題でもある。「これしかないんだ」と思い込んで、制度をうまく使いこなせない人が多い。不倫のニュースとかどうでもいいから、暮らしやすくなる制度のニュースとか避難所情報とかを定期的に報道してくれよな。

 

基本的に、人間は人間の片面しか見えていない。人間の360度を見せる仕事、居場所がない人の居場所をつくる仕事がしたい。常識を守れない人ほど歴史に名を残しているし、はみでることをネガティブじゃなくポジティブなことで発揮できるような舞台をつくりたい。

 

こういうの全部、渋谷の女子高生ギャルに届くくらいポップにやらなきゃ意味ないよな!!!

「これってどうなんだろう?」って疑問は日々生まれてて、それは常に頭の片隅にあります。

 

考えてもキリがないことだったり、優先度が低くて記憶からなくなっていく疑問もあるけど、先人もこうやって考えて戦ってきた人がいたんだろうと思うとグッとくる・・(もちろん現在進行形で戦っている人もリスペクト)

 

こういう話でもセンシティブさをみじんも感じさせずに話してくれて、私の意見も一切否定せずに受け入れてくれる友達にも感謝。(リスペクトとか感謝とか、レゲエで一曲つくれそうな勢いだな)

 

最後の質問に即答できなかった自分

 

最後の質問に即答できなかった自分

 

さんざん話しこんで最後、「それでもトータルすると人生楽しいよね?」と言われた私は、「そうだね」と即答することができず・・

 

私はどこまでも人生に悲観的になっているのだと思います。初めからなかったならなかったで全然OK。生まれてくる前からついさっきの0.1秒前まで、過去という過去は洗いざらい全部捨てたいくらい、常に自分に絶望してるんです。だから自分以外の人のことを考えたいんだとも思ってて・・(現実のこと考えてる風で、結局現実から逃げてるんだよな)

 

ただ、こうして問題解決の話、人生観の話をしてるときは「生きてる」って感覚がする。

 

誰かと語り合う時間は、自分の人生にとってすごい大事な時間だと思ってて、そこに後ろめたさとか恥ずかしさとか遠慮は一切いらないんですよね。

 

いかに本能のままに、丸裸で堂々ぶつかりあえるか。そんなことを改めて教えてくれる、アツくなれた食事会でした。