#black Lives Matter(ブラック・ライヴズ・マター)のハッシュタグがついた黒い画像でインスタグラムが真っ黒に染まった。この運動や事件について悶々としたので、おもうことを記す。
もくじ
#black Lives Matterとは?
「black Lives Matter」は、黒人に対する暴力や人種差別の撤廃を訴える国際的な運動のことで、2013年に設立された。
2020年5月25日に、アメリカ・ミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性が白人警察官に押さえつけられ亡くなった。
この事件がきっかけとなって、また「black Lives Matter」が再燃している。
暴力事件に暴動で対抗するのはまったく間違っているけど、おもうだけじゃなくて行動に起こせるパワーはかっこいい。
音楽の力でインスタグラムが真っ黒に。
音楽業界では6月2日を「Blackout Tuesday(ブラックアウト・チューズデー)」=人種差別撤廃に思いをはせる日とした。
「ショーはストップだ(#TheShowMustBePaused)」をスローガンに、ビジネスをストップしてブラックコミュニティと再び繋がろうという取り組みだ。
これに、ワーナー・ミュージックやApple Musicなども賛同。
インスタグラムがまたたくまに真っ黒に染まった。
絵画でも #black Lives Matter
事件現場・ミネアポリスの食料品店の壁に、アーティストが被害者をモデルとした壁画を制作。
さらに「ミネアポリス美術館」の館長は、ミネアポリス美術館が体系的な人種差別の不正に取り組んでいることを声明し、このようなコメントをした。
ほかにも「メトロポリタン美術館」や「ニューヨーク近代美術館(MoMA)」も被害者男性を追悼した。
アートにおける「黒」
言葉を超えるパワーをアートが持つことがあるとおもう。
「怖すぎる!宮廷画家・ゴヤの「黒い絵」徹底解説&人生とは?」でも書いたとおり、私はスペインの画家・ゴヤが気になっている。
特にゴヤの「黒」には狂気を感じて、みた瞬間から心を持っていかれた。
怖くて切なくてみていると不安になる、とにかく意味深な「黒」だった。
のちに印象派のマネも、ゴヤの「黒」を研究するわけだけど、そのくらいアートにおける「黒」は意味深いものなのだとおもう。
また違った形だけど、#black Lives Matter の「黒」にも「黒人」を表すほかに、揺るぎない決意を感じる。
黒い画像一枚で誰もがゴヤになれるような、そんな意味深な気迫がある。
アートと差別
音楽や絵画などのアートは、いつも差別される側の人間に寄り添っているようにおもう。
社会風刺や皮肉をこめた絵画は200年以上も前からあった。
アーティストは、見る人に何かメッセージを伝えたいのではないだろうか?
hip hopはその最たるもので、ゲットー(アメリカなどの大都市におけるマイノリティの密集居住地)から生まれた文化だ。
アートとして表現することで、やりきれない思いを浄化して、希望を持つことができる。
約9分間、暴行を受けた黒人男性
実は私も、この動画をみてしまった。
「息ができない」といって苦しむ黒人男性に、白人警官が容赦なく暴行を続けた。
9分間も!
ほんとうにショッキングな映像で、私まで苦しくなった。
これが自分だったら?家族や恋人、友人だったら?
そうおもうと、やりきれなくなる。
差別はなぜ起きる?
誰もが「差別はよくない」ってわかっているはずなのに、なぜ差別は起こるのか?
私も、差別を受けたこともあるし、差別をしたこともあるとおもう。
観光客を「外人」って呼ぶし、スラム街で犯罪に手をだしてお金を稼ぐ子どもを「かわいそう」っておもう。
逆に私も「外人」って呼ばれるし、「かわいそう」っておもわれることもある。
誰かを下にみることって、ラクなんだとおもう。
誰かを下げることで「自分は大丈夫、自分はまとも」って正当化できる。
だけど、誰しも、「どうしてもこのカラダでお願いします!」と懇願して生まれてきたわけではない。
私だって本当は長澤まさみがいいけど、たまたま日本に生まれたのが共通点なだけで、仕方なく私のカラダで生きてる。
自分で選んだわけでもなく自分に生まれてきて自分でも不服なのに、あげく他人にまで差別されるなんて、「こっちもイヤだけどなんとかうまいことやってるんだから黙っててくれ」って感じだ。
たとえばLGBTの人が生きにくそうにしているのをみると、「なんでこんなに悩んでんだっけ・・」とわからなくなるときがある。
ちょっと人と違うだけでそこが「弱み」みたいになる風潮はよくない。
「黒人だから」「ユダヤ人だから」「女だから」「バイトだから」「家が貧しいから」・・
相手の立場を勝手に位置づけ、優位にたったつもりになって悦にいるのは、もうやめたいしやめてほしい。