こんばんは、やまちゃんです。まさに今怒っている最中なのですが(!)、こんなにずっと怒っているのは人生ではじめてなので、正直戸惑っています。
だから今日は、怒りとどうすればうまく付きあっていけるのかについて考えてみます。頭の整理のための、29歳女の、ただの日記です。
もくじ
怒りとは?
コロナ禍の私はというと、社会問題や環境問題についてとても興味津々。こんなに怒り心頭きているのは、人生ではじめてかもしれないというくらい、頭のなかが「怒」で埋め尽くされながら生きています。
そもそも、心の平穏を望む人間が多いなかで、人はなんで怒るのでしょう?
怒りは大切なモノの裏返し
怒りというのは、その人を知るカギで、「その人が何を大切にしているのか?」の裏返しではないでしょうか。
たとえば浮気が許せない人は「ルールを守ること」を大切にしていたり、ナルシストが許せない人は「等身大でいること」を大切にしていたりするのではないかと思います。
私の場合は正義感がムダに強いので、(正義とはなにか、という問題もありますが)不誠実なこととか、理不尽に苦しむ人やモノをみることが耐えられません。
大切にしていることは、ときとして「エゴ」になるので、怒っている人は側からみると「エゴをばら撒いている人」のようにも映ります。
怒ってる人ってなんかヤバそう
思想が強い。なんかヤバそう。変わっちゃったね。・・頑張って怒った結果、そんな風に片付けられてしまうのは悲しすぎる。だからといって、価値観の押し付けになるのは、またそれも違う。
怒っているとき、まずは「自分は今怒っているんだ」と客観的にとらえて、「何に対して怒っているのか」「どうしたら解決できるのか」「人に伝えるときはどうしたらいいのか」を分解して考える必要があります。
怒りのタイプは人それぞれ
私は、「白黒ハッキリしていたい頑固モノ」×「感受性ゆたかだけど自尊心がなく繊細」という2つの性分がかけあわさったような面倒くさい性格をしています。
わりと素直に感情を出してしまうので(隠せないし、でちゃう)、怒りのタイプは「怒りの垂れ流しタイプ」だと自負しています。すごく子どもです。オトナに「はいはい、よしよし」ってなだめてもらうやつです。
「言えなくて塞ぎこんでためてためて、最後に大爆発!」という怒りのタイプの人もいると思うし、人によって怒りの沸点も表現の仕方も変わってきます。
グレタさんの怒りは“愛“なのかもしれない
環境問題をないがしろにするオトナたちにしびれをきらして主張をしたグレタさん。
この怒りを裏返すと、「オトナたちに期待している」「オトナたちに考える余地を与える」ということでもあると思います。
そう考えると、怒り=愛でもあるのかも。
絶望しているときこそ希望の光を見出そうとするのも、また怒りの原動力なのかもしれません。
怒りをコントロールする方法
2021.1.11現在、私の怒りの火力は「強火」です。たぶん今が人生で一番頭にきていると思う。「頭にくる」ってこういうことなのか・・と絶賛実感中です。
でも強火で燃えつづけるのってすごく疲れます。底なしのネガティブな沼にハマって、精神的にも肉体的にもよろしくないです。
今の私は、怒りの火力を調節する必要があります。少しづつゆるめていかないと、自分もまわりも苦しい。
怒りの火力を弱火にするジョンレノン
怒りを弱火にするために、ジョンレノンのイマジンを聴きました。そしたら薬のように効いて、ピーク時よりはマシになりました。
こういうと宗教っぽくて我ながらヤバいんですけど(笑)、イマジンの和訳を読んでココロ救われました。
あとあと、身のまわりのモノを使って名画を再現する「#tussenkunstenquarantaine」というインスタのハッシュタグにも救われました。
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アートの説明を1から10まで丁寧にしてくれる投稿も好きだけど、観て、楽しくなって、そこから好きずき想像して感性が広がっていく”余白のある投稿”も楽しいなと思います。
みんなのハッピーが伝染していって、結果的に大きなトレンドになっているのが理想のカタチだなと。クリエイティブの力は偉大!
怒っていることを伝えたいとき、どうしたらいいかな?
怒りを誰かに伝えるとき、みんなどうしていますか?
29歳のみんな、どうしているの? 39歳のみんなは? 10年後にもわかりあっていたい人には、どう振る舞えばいいの?
「わたし、〇〇に怒ってます!」って言うのはカンタンだけど、受け手は少なからず「お、おう・・」とかまえてしまうハズ。
とはいえ、怒り=自分の大切なものを共有するチャンスでもある。環境問題のこととか、政治のこととか、しあわせになってほしい大切な人とこそ考えを共有してみたい。
自分で伝えて話しあう / 引用してシェアする
自分の主張を一方的に伝えると、受け手が「うっ・・」と重荷になってしまうかもしれないから、誰かの主張を引用して「こういう考えもあるらしい!」とシェアするのもアリかも。
でもやっぱり大切な人とは、たとえ一時的に考えが食い違っても、意志を伝えてみた方がいい気がします。次の①〜④の手順で伝えるのはどうでしょうか。
① 怒りの発端となった事象
② 自分はどんなことが問題だと思っている
③ こうなってほしいと思っている
④ あなたはどう思っている?
ポイントは、④で相手の意見を聞くこと。
一方的な話ではなく、「話しあい」にすることで、相手もその事象について考えてみるキッカケになるのかなとおもいます。
ゴッホの怒りは強火とおりこして火事
とはいっても、怒りの伝えかたについて、私は正解をもってません。実際に怒りながら人と話すことになれば、子どもみたいに感情的に泣きながら、思ったこと全部をワーッと話すことになると思います。だから私の場合、ほとぼりが冷めるまで人に会わないのが正解かもしれません(!)
ゴッホみたいに耳までは切らないと思うけど、ココロの中では両耳を切る気持ちで怒ることになると思います。
ゴッホは、強火とおりこして常に火事になってたんだろうな。ゴッホくらい怒りの火力がバグると、とうとうまわりも手をつけられなくなります。(その不器用なところが尊いのだけど)
ゴッホのように、怒りのままになんでも話せる信頼できる人にまず話すということも、感情を整理するうえで大切なのかもしれません。
怒りと笑いの関係
怒りは基本的にネガティブな感情だから、見ていていい気持ちはしません。
瞬発的な怒りをポジティブに捉えるためには「一周まわって楽しい」にする必要があって、その感情を引き出すのは結構ハードル高いです。
“楽しい”にも「funny」「happy」とか他にもいろいろな価値観があると思うけど、誰とでも共有しやすい”楽しい”のひとつの価値は「お笑い(comedy/コメディ)」なのではないかとおもいます。
怒りはコメディと隣り合わせ
結構前にクルマで走っていたら、隣のクルマにこすりそうになりました。赤信号になって隣のクルマと並んだ瞬間、怒りで耳まで真っ赤にした運転手が窓を全開にして、こちらに向かって口をパクパクさせていました。
絶対に笑ってはいけないシーンだけど、私はその光景がとても面白かったし、その人の顔のカタチや皮膚の色までいまだにハッキリ覚えています。
ほかに私自身のことでも、ブチギレた数日後に「あのとき私なんであんなに怒ってたんだ? ウケる(笑)」となるシーンは結構あります。
いつか笑い話になる怒りは、そのときはネガティブだとしても、ゆくゆくはポジティブなものに変わることがあるのかも。
日本にはブラックコメディの文化がないけど、怒りを笑いに変えてメディアで発表していくお笑い芸人がもっとたくさんいてもいいのにな・・と思います。
それに自分自身も、お笑いとか漫画とか、なにかプラスに捉えられやすい見せ方で怒りをわかりやすく可視化できたら、「実はそう思ってました!」っていう人が声をあげやすくなるのかも・・と思ったりします。
怒ることを諦めるのも大事
怒りは、大切なことの裏返しでもあり、エゴでもあり、笑いでもあり、愛でもあるということがわかりました。(???)
怒りの火力が強火になったとき、どこかで諦めて折り合いをつける必要があります。
怒りにも波があって、24時間365日ずっと怒りつづけるわけにはいきません。
怒ったとき、ワーッと言いそうになったとき、一回すべてを諦めてみて、こうして頭を整理するようにしたらいいのかもしれないです。
そして、どうやってこの怒りをクリエイティブに変えられるのか、考えてみる。これを繰り返すと、怒りはその興奮を冷やさぬままにワクワクに変えることができるのかも。もしかすると、最強の覚醒状態(クリエイティブのカメハメ派状態)になれるのでは・・(?)
よし、これでいこう。