ついに、シルバニアの赤ちゃんをお迎えにあがった。
というのも、私は今、仕事のことですごく思い悩んでいるのだ。
仕事中、たまにシルバニアの赤ちゃんを見ないと頑張れないカラダになっているのだ。
「仕事の愚痴ならチラシの裏にでも書いとけよ」と思われるだろうけど、同じように悩んでる人の肩の荷が少しでもおりたら嬉しいから、「仕事にまつわる矛盾」について、思うところを思うままに書いてみる。
もくじ
【ツラい理由】仕事の矛盾① 「ウソ」と「我慢」がヨシとされている
仕事中の私は、私じゃない。
ただのウソつきだ。
心では「めんどくせ〜〜」と思いながらも知らない敬語はググってでも使うし、1ミリも尊敬してない相手のことを大尊敬してるフリをする。知らない人なのに、「もちろん知ってますよ〜〜」の体で話す。
全部ウソで塗り固めた仮面の私。ウソつきって不自然。だから仕事中の私は不自然な感じがする。
仕事中は、我慢もする。
本当は早く帰りたいのに「まだ大丈夫ですよ」って言うし、会いたくもない人に「お会いできてうれしいです」って言うし、知らない人に理不尽に怒られても謝りたおして許しを乞う。
でもさ…
気持ちにウソつくことで幸せになる人なんていないし、知らない人に理不尽に怒られるのが好きな人なんていないじゃん!
ウソをつかなきゃいけないし我慢もしなきゃいけない仕事は、本来の人間の幸せとはかけ離れたところにある、むしろストレスになるもののはず。誰からしてもツラいもののはずなのに、「仕事をいただいている」みたいなスタンスでありがたがらなきゃいけないのも矛盾してる。
なぜ無理してウソついたり我慢したりしなきゃいけないのか?
それは、人から仕事をもらう以上、人から嫌われると圧倒的に不利になるからである。
全部が忖度。そこに、本来の自分の姿はないのだ。
それに、たとえ自分がいなくなったとしても会社は潰れない。代わりを雇うだけ。雇われている人は全員、所詮上層部にとって都合のいいコマでしかない。
自分を押し殺すだけでもツラいのに、都合よく使われる搾取構造にある。だから仕事はツラいのだ。
私は、今の小中学生が「将来YouTuberになりたい」って言う気持ちもわかる。彼らはピュアだから、「自分の心を殺してまで無理してお金を稼ぐことは本質的じゃない」ことを知っているんだと思う。
【ツラい理由】仕事の矛盾② 生きるために仕事してるのに死ぬ人間がいる
雇用悪化で女性の自殺率があがっているらしい。「男性の自殺率の方が高いじゃん」という反論も聞こえてきそうだけど、男性の自殺も含めて「仕事が原因で死を選ぶ人がいる」のは事実だ。
仕事=お金=生命線。
お金は、もちろん生きるために必要なもの。
生きたいから“生命線”となる仕事を頑張ってるはずなのに、仕事が原因で自殺するって矛盾してる気がする。
もちろんお金がないと物理的に生きるハードルは上がるけど、仕事がないからといってその人の生きている価値までもがなくなるわけじゃないし、自分から死を選ぶくらいなら無理して仕事をする必要はないと思う。
なぜ人は無理して仕事をするのか???
「仕事を頑張っている人が輝いている」「仕事を頑張っている人がモテる」「仕事を頑張ってる人が偉い」「仕事を頑張ってる人が有利」…世の中のしくみがずっとそうだから。
つまり、「仕事を頑張る人しか勝たん」って価値観があまりにも根強いのだと思う。
世の中の大多数がなぜか仕事を目的に生きてて、「いい大学」やら「キャリアアップ」やら唱えてる人ばかりだから、「お金ない人は負け組」「仕事がもらえない=価値のない人間」と錯覚をおこしてしまう。
でも、私たちはそもそも「仕事頑張りたいです!だから地球に生み落としてください!!」なんて懇願して生まれてきたわけじゃないんだから、そんなものは地球全体に信者のいる宗教みたいなものだと思う。
【ツラい理由】仕事の矛盾③ 仕事は楽しいときもある
仕事中はずっと“自分じゃない人間”をかぶって無理してるはずなんだけど、それでも稀に「楽しい」と思える時間がある。
「性に合ってるし向上していきたい」と思えて根っからその仕事に向いてる人もいるし、タイミング的に「今は仕事が楽しいから集中したい」って人もいる。
そして、仕事を楽しめる人は大抵、仕事に対して生命線(お金)以上の価値を見出せていて、喜んで仕事をしている。
私の場合だと、記事を書いてるときは時間を忘れるほど夢中になれて楽しいし、読んだ人から何かしらの感想をもらったときはうれしい。そんなふうに、「コレやってて意味あるのか?」と思ってたことで、なんらかの成果が出たときに「仕事って楽しいかも」と思う人は多いと思う。
でも、ほとんどの時間は(体感で9割くらい)は、「コレやってて意味あるのか?」ってことではないだろうか?しかも悲しいことに、実際にその仕事が明日地球から消え去っても、別に誰も1ミリも困らない「ブルシットジョブ」なことも多い。
ブルシットジョブに滅私奉公している人は、心が疲れている。
1割の「楽しみ」がなかなかこないから、休日にパンケーキをつつくために、アーティストのライブで発散するために、連休の旅行のために、汗水流して働く。ほかで発散しなきゃやってられなくなる。
私は「自分、仕事向いてないわ」って本格的にわかった瞬間から、なるべく好きな仕事しかしないことにしてる。でもどれだけ好きな仕事をしてたとしても、今この瞬間その仕事が消えてなくなっても誰も困らないとわかっているから、むなしくなることがある。
仕事がツラくなくなるには、どうしたらいいのか?
私は仕事に対してよく、「1日8時間もかけて、ずっと何やってんのw」って思うことがある。
そもそも消費活動に疲れているし、マーケティングに加担したくない気持ちも大きいし、社会不適合者すぎて仕事も苦手だから、仕事をしなくても生きていけるなら仕事をしたくないと思っている。(この世で最もクズな断言)
もし国から「毎月30万あげるから、明日から仕事しなくていいよ」って言われて「やったー!仕事辞めてきまーす!」って思う人は、向いてないからもう仕事を諦めたほうがいい。
諦めるとはいっても、現実的に仕事をやめるわけにはいかない。
じゃあどこまで仕事を諦めて、少しでもツラくない仕事を探すのか?
それは、なぜか自然にやってしまうこと、長時間やっても苦じゃないことを仕事にするしかない気がしている。
その上でプライベートな時間もちゃんと確保して、なんの生産性もない時間を愛でる。この時間が人生を豊かにしてくれると思う。つんくさんも「損得なんかはきっとどうでもいいのが人生」って歌詞で言ってるし…(急に)
たとえば組織の中でどんだけ裁量を持って働けてるとしても、自分に完全に決定権があるわけじゃない雇われの身で本来の心を震わせられる人は少ないと思う。もっというと、自分の好きなことを仕事にできてる人でも、人から求められてるものを演じなきゃいけない状況では心が震えないと思う。(たとえば画家でも、描きたくもない売れる絵しか描けないと、ツラいときく。)
誰かがつくりあげた何かではなく、「自分でつくりあげた何か」でしか心は震えないと思っている。
自分の心を震わせる時間がもてないと、それは自分の人生じゃない。
だから組織の中にいるうちは、夢中になれる仕事以外はどこか諦観しつつ、プライベートな時間で心震える体験をしていきたいと思った。
仕事に対するスタンスとか考え方は各々違うけど、私が一旦出した結論はこんな感じ!!