伊勢丹店員「お前に売る服はねえ!!!」vs 私「こっちから願い下げじゃ!!!」

 

 

伊勢丹店員との心のバトルで「幸せの正体」について考える

 

伊勢丹店員との心のバトルで「幸せの正体」について考える

 

伊勢丹の店員から「幸せマウント」を受けたことによって、こちらも「幸せマウント」をとりたくなった。

 

「幸せの正体」について考えるのが解決策になると思ったので、記す!!!

 

平穏な日曜日、伊勢丹で心のバトルが始まる

 

日曜日の私。

 

もちろん、ベッドに転がっている。

 

昼過ぎ、スープカレーが食べたくなる。

 

ふらっと新宿三丁目までスープカレーを食べに行く。

 

たまったスタンプカードを使ってビールを頼もうとしたところ、「今アルコール提供できないんですよ〜」と断られ、「ですよね〜」と大人しくジンジャーエールを飲む。

 

ジンジャーエールとカレーのイラスト

 

そこで、「今は緊急事態宣言中なのだ」と思い出す。

 

食べ終わりお会計をすませたその足で、ビックロで4個口のコンセントを買う。

 

そのあと、伊勢丹のお酒コーナーに寄り道。

 

帰りぎわの館内で、悲劇は起こった。

 

伊勢丹店員「お前ごときが伊勢丹の敷居をまたぐな」

 

お酒を買って出口に向かっているとき。

 

バッグや洋服のコーナーを通ることとなった。

 

そのとき!!!

 

こぎれいな格好をした女性店員が、私の頭の先から爪先までを一瞬で吟味して、「いらっしゃいませ」の言葉を飲みこんだのである。

 

伊勢丹店員のイラスト

 

私はお姉さんの考えを一瞬で察知した。

 

「さっきまでベッドで横になってました」と言わんばかりにふわっと跳ねた髪の毛、テンダーのライブで購入したスウェット、ゆるいデニムパンツ、スニーカー。

 

彼女は、そんな素朴で伊勢丹の価値もわからないのに間違えて館内に迷い込んでしまった可哀想な私を見て、「お前に売る服はねえ!!!」と判断したのではないだろうか。

 

それを受けて、身だしなみに気をつけていなかったことを恥じたし、「自分なんか・・」といつもどおり自信なく感じたし、「カレー屋のあとに伊勢丹に寄り道って、そもそもおかしいのかも?」と思ったりもした。

 

などと、はじめ少し落ち込みはしたけども、だんだんイライラしてきた。

 

その上からなマウント(?)と「私たちはお客様を選んでいる」という選民意識ならぬ“選客意識”に、だんだんイライラしてきたのである。

 

バトルは始まった。

 

頭のなかのDJが、チュクチュクとスクラッチを鳴らしたのだ!!!

 

私「お前の売る服着て、幸せになれる気がしねえ!!!」

 

私「お前の売る服着て、幸せになれる気がしねえ!!!」

 

伊勢丹の店員が仕掛けてきたバトル。

 

店員がこちらに向かって乱暴に投げたマイクを握りしめ、私なりにアンサーしていく。

 

「幸福について、考えたことがあるかい?あなたたちはお洋服をとおして、お客様に幸福を売るお仕事をしているはずだけど、そもそもあなた自身がまったく幸福に見えないよ?」

 

「それはなぜだかわかる?あなたが考える“幸福”が、お客様(私)の考える“幸福”とズレているからだよ!あなたの考える幸福の根っこには“競争”がある

 

「他者との競争(誰かより優れていたり美しかったり)によって得られる幸福は一瞬だけ。幸福をずっとつづけて、さらに膨らませたければ、自分の中の信念や楽しみと向き合うしかない」

 

あなたが“競争に勝つことで得られる幸福”だけに価値を感じているうちは、誰も幸せにできない。そこから解き放たれたときに初めて『あなたからお洋服を買えることは、幸せなことだ!』とお客様が満足いくような接客が自然とできるようになるのでは?」

 

まったく韻をふんでいないけども、こんなところでビートを止めてもらいたい。

 

【幸せの正体】伊勢丹の店員が売れるのはモノ“だけ”

 

【幸せの正体】伊勢丹の店員が売れるのはモノ“だけ”

 

キレイな服は気分をあげてくれるものだし、こ汚い格好をしている人は信頼できない。

 

とはいえ、そもそも見た目だけですべてを判断するのは間違っていると思う。

 

ガンジーは布切れ一枚しか持ってないし「キレイな格好」とは言えないけど、人を惹きつける魅力とアイデアと行動力にあふれる人間だ。

 

ゴッホは人に尽くしすぎて自分はボロボロの服ですごしていたけど、それが「不幸なことだ」とは感じておらず、むしろ幸せを感じていたのではないかと思う。

 

2人の幸福に共通するのは、自分の幸せだけではなく「他者の幸せ」や「貢献」ではないだろうか。

 

買い物をする女性のイラスト

 

伊勢丹の店員は、「モノだけ」を売ろうとしてるから、「モノだけ」を買ってくれる人を吟味しているにすぎない。

 

「この服を着て、もっと自己肯定感をあげてほしい!」みたいな、相手のパーソナルな課題解決までに踏み込めていない。

 

だから、その店員から服を買ったお客様が思うことは一つ、「服を買った」という事実だけ。

 

幸福の考え方の多様性を知らないかぎり、「またこの人から買いたい!」「こんな買い物体験は初めてだ!」という価値提供までは難しいと思う。

 

【幸せの正体】派手なイベントがないと不安になる日本人

 

このことについて、実は最近、考えを巡らせてた。

 

お金やフォロワー数、幸福の指標だと思われているけど、じゃあなんで人気の絶頂にいる人が自殺するの?

 

あと、こんな雑い漫画も書いた。

 

4コマ

 

4コマ

 

4コマ

 

4コマ

 

オリンピックに「夢や希望」を求める気持ちもわかる。

 

私もモーニング娘。に夢や希望を見出しているし。

 

ただ、推しが活動休止して気づいたことがある。

 

この1か月、推しも活動を休止して、美術館も休館になって、私にとっての「楽しみ」がすべてなくなった1か月だった。

 

でも、私はそれで不幸になったかといえば、ずっと幸せだった。

 

「夢や希望」は他人に任せて湧いてくるものではないし、気づいてないだけで、実は常に自分自身のなかにある

 

派手なことをしなくても、考え方次第で引き出せるものなのだと思う。

 

私が幸せに感じる瞬間を集めてみる。

 

・文章を書いているとき

・ものづくりをしているとき

・人と興味のある話を詰めているとき

・雨がふったり草が伸びるのを見るとき

 

ここで共通するのは、私の考える“幸せ”には、数字も派手なイベントも必要ないということだ。

 

むしろ人工的で派手なイベントは、広告など表面的なインパクトに持っていかれちゃうから、幸せの本質まで遠回りだとすら感じる。

 

イベント大好き鬼ギャル、スケジュールを手放して幸せになる

 

イベント大好き鬼ギャル、スケジュールを手放して幸せになる

 

東京にくるまで、20歳前後の私は、イベントが大好きな鬼ギャルだった。

 

楽しいことが好きだったのもあると思うけど、どこかでは、イベントがないと不安だったんだと思う。

 

「予定のない時間が苦痛だし、予定がないなんて、自分が充実していない」とまで感じていた。

 

今思うと、自分に自信がないから、自信を埋めるために予定が必要だったのだ。

 

でも東京にきて時間がたってきた今は、特別なイベントがなくても、日々心から充実していると思える。

 

それは、本を読むようになったり絵を見るようになったりしたことが大きいと思う。

 

ギャルのイラスト

 

他者視点の幸せは、本質的じゃないとわかった。

 

ものごとを達観して見ている、肩の力が抜けてリラックスした大人にたくさん知り合えたことも大きい。

 

東京の人は、なかなかハッキリと忠告はしてくれないけど、かなり本質的なヒントをくれる人が多いと思う。成功している人ほどそうな気がする。

 

ただなんとなく聞き流すこともできたけど、スッと入ってきたということは私には鋭い意見が必要だったんだと思うし、田舎にいては得られない体験だと思ったから新鮮でうれしかった。

 

伊勢丹店員へ「結論、幸せって自然じゃないですか?」

 

伊勢丹店員へ「結論、幸せって自然じゃないですか?」

 

そこで考えを突き詰めていくと、自然体な自分であることが幸せなのだと思った。

 

他人の目線も気になるし、自分とはなんなのかもよくわからないし、まだまだ課題は多いけど。

 

でも、自分が自然にやってしまっている大好きなことを自然のなりゆきのままに楽しむことが、幸せだと感じる。

 

伊勢丹のお姉さんの優先順位は、自然<人工物

 

本当の幸せの優先順位は、人工物<自然

 

自然にはルールがなくて自由だし、どうなるか予想もできないから上限がない。

 

私は自然を楽しめる人間でありたい!!!