もくじ
住職著「心配事の9割は起こらない」読んだ
住職さんが書いた「心配事の9割は起こらない」は、タイトルからして考えすぎの日本人にズブズブに刺さったらしく、肩の荷がおりることで人気の本です。
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心配事の9割は起こらない 減らす、手放す、忘れるーー禅の教え (知的生きかた文庫) [ 枡野 俊明 ] 価格:748円 |
私は繊細なうえにひねくれた性格をしているので、「いや、残りの1割が心配で心配で、結局不安的中してんだわ」と思いながらページをめくっていました。
そしてめくっていくうちに「あれ・・なんか心配事がどうでもよくなってきたな」と心の変化がありました!(まんまと住職のいいなり)
グッときた禅語を要約してみなさんにもおすそ分けするので、いい〜感じの心の変化を体験してみてください!
「心配事の9割は起こらない」人間関係に効く禅語
人間関係の悩み:色眼鏡をかけない
悩みの種はだいたい些細なことで、先入観からくる。情報だけ、一面だけを見て相手を決めつけると、見誤ることは必定。「一切衆生(いっさいしゅじょう)、悉(ことごと)く仏性あり」を胸に焼き付けるといい。「自分が接したのは相手のほんの一面にすぎない。次は仏性(やさしさ、思いやり、包容力)をみつけよう」とすること。
人と比べちゃう:莫妄想(まくもうぞう)
「あれがほしい、これを手放したくない、他人が羨ましい、自分はダメだ…」これ全部妄想(!)ものごとを対立的に見ないで、フラットに見るといい。ほかの人がどうであれ、ありのままの自分こそ、ほかとは比べられない絶対の存在。
他人の価値観に振り回される:冷暖自知
他人の目や常識にしばられて自由な発想ができない、自由にふるまえない、心が窮屈になる・・常識から自由になってでも道を誤らず生きるには、「自分のものさし」が大切。冷暖自知は「コップに入った水が、冷たいか温かいかは飲むまでわからない」、つまり「考えるより行動」をさす言葉。知識だけでなく体感することでものさしを持てる。
「心配事の9割は起こらない」現代病に効く禅語
過去に縛られる:一息に生きる
瞬間を丁寧に生きること。生まれて死に、死んでは生まれる、生死は繰り返されるものだから、前後を考えても仕方がない。今に集中するしかない。過去の栄光にすがるのは、今に自信がないことの表れ。そこに不安や悩みが入り込む。
閉塞感がある:手を合わせる
閉塞感を感じるのは、現代人が仏壇でご先祖に手を合わせることがなくなったことが関係している。ご先祖の前では「素」の自分になれる。思いの丈をぶつけることで心に平穏が取り戻される。仏壇じゃなくてもいいから心のよりどころをつくって、心を整える習慣をつけるといい。
モノが増えるストレス:喜捨(きしゃ)
惜しまず喜んで捨てること。お賽銭を投げるときにこういう。大切なお金を捨てられる理由は、「ひとつ手放すことは、ひとつ執着から離れること」。
当たり前のことに感謝できない:親の死をまつ
親が亡くなってはじめて、当たり前に感謝する。いまここにある当たり前に、自分がどれだけ支えられ、癒され、勇気づけられているか。それに気づくと、感謝が身近になり、人生のあらゆることが好転する。
「心配事の9割は起こらない」豆腐メンタルに効く禅語
落ち込みやすい:それはチャンス
気分が落ち込むのは自然なこと、そのうえで負の心をプラスに転じていくのが禅の考えかた。「神は乗り切れない試練を人に与えることはない」という言葉もある。ひと皮むけるために試練がある。つまり困難や逆境はひと皮むけるためのチャンス。
心に余裕がない:汝は十二時に使われ、老僧は十二時を使い得たり
時間を使え、時間に使われるな。人間はだらけようと思えばいくらでもだらけられる。生活リズムを守るためのルールをつくる。朝一定の早い時間に起きる。朝ギリギリに起きてあわただしくドタバタ出かけるのは、まさに時間に使われている状態。部屋の空気を入れ替えて深呼吸して血流をよくする贅沢な朝を過ごす。
「しなければならない」の呪い:やらなくてもどうにかなる
世の中にはどうにもならないこともある。自分の命の動きさえコントロールできない。潔く受け入れる。心を向けるべきはそこではなく「どうにかなる」ことの方。
「心配事の9割は起こらない」仕事に効く禅語
地位や立場にしがみついちゃう:ゆずりどきを心得る
「地位を守ろう」「誰にもゆずらない」と、ものごとに固執するほど心配事は増える。時機到来と見たら、潔くゆずりわたす。引きどき、ゆずりどきを心得ている人の生きざまは実に清々しく、あざやか。
仕事を断れない:いい加減を知る
自分の力量(いい加減)を知っておく。「できない」ことら焦り・苛立ち・情けなさ・悔しさにさいなまれ、心に負担がかかる。いい加減を心得ると、仕事を堅実にこなすことになり信頼につながる。ただし力量と限界値は違うから、挑戦したいことはいい加減を越えるところに足を踏み入れる。挑戦心でカバーできる。
休み方がわからない:七走一坐(しちそういちざ)
7回走ったら、一旦座ってみよ、という意味。特につまずいたとき、失敗したときは止まるのが大切。失敗の原因を明らかにして、教訓にする。周りが走りつづけているなかで立ち止まるのは不安かもしれないけど、禅も中国古典も「大丈夫だ」と言っている。
「心配事の9割は起こらない」で結局心軽くなった
どうでしょう。読む前よりも今の方が、心が軽くなってませんか?
ミニマリズムが流行ったのも、「禅の心が生活を向上させるから」だと言われていましたが、そのとおり禅の教えは心を整えるものだと思います。
じぶんのこと無宗教だと思ってたけど、本気出せば私、しっかり仏教に沼れそう・・