【3分でわかるゴッホ】アートに取り憑かれた炎の画家

知らない人はいないポスト印象派の画家「フィンセント・ファン・ゴッホ」。ゴッホの作品からはどれも、ゴーゴーと炎の音がするようです。

 

生前に売れた絵画はたった一枚だけだったゴッホが、愛されつづけている理由は・・?この記事を読めば、ゴッホの人生と絵の魅力が3分でわかります。
 

 

オランダで聖職者を目指したゴッホ

 

ゴッホの自画像

出典:ゴッホの自画像:鑑賞と解説

 

1853年3月にオランダにて牧師の父のもとに生まれたゴッホ。

 

幼い頃から癇癪持ちだったゴッホは、社会にでて画廊や教師などの仕事をするけど思うようにいかず、実質クビになってしまいます。

 

それから父と同じ聖職者になることを夢見ますが、弱者に自分の上着を与えてゴッホ自身はボロボロの服で過ごすなど行きすぎた行動をして、まもなくやめてしまいます。

 

ゴッホが27歳のとき、弟のテオから経済的援助を受けて画家になる道を選びました。

 

オランダ時代:貧しい農民を描く

 

ゴッホの絵といえば、黄色や明るい青のような華やかな色調を思い浮かべますよね?

 

でも初期の頃のゴッホの作品はその逆で、暗い色調の絵が多いです。

 

貧しい農民など、社会的に弱い立場にいる人々をモデルにしていました。

 

ジャガイモを食べる人々:ゴッホ

出典:Vincent Van Gogh – The Potato Eaters

『ジャガイモを食べる人々』(1885)

よく見ると、食事をよそう農民の手がごつごつしている。
「ジャガイモを食べる人々がその手で土を掘ったということが伝わるように努めた」という書簡が残っている。

 

初期の頃の作品の方が画家の本質をあらわしているいわれますが・・

 

まさにゴッホのやさしくて真面目な根っこが、絵にあらわれているとおもいます。

 

パリ時代:印象派や日本画に出会う

 

1886-1887年、ゴッホは弟・テオを頼ってパリに移ります。

 

ゴッホはパリで、明るい色調の印象派の作品や日本の浮世絵などに出会い、作風がガラッと変わります。

 

ゴッホがよく通っていた画材屋兼画商の「タンギー爺さん」の絵を残していますが、これまでの作品と一変した鮮やかな色彩が特徴的です。

 

タンギー爺さん

出典:Van Gogh – Portrait of Pere Tanguy 1887-8

 

『タンギー爺さん』(1887)

お金がなくて画材を買えないゴッホは、タンギー爺さんに絵画と画材を交換してもらっていたのだそう。
夢見る画家たちにとことんやさしいお爺さん・・

 

タンギー爺さんの画材屋には印象派やポスト印象派の画家たちもよく出入りしていて、ゴッホも積極的に交流をしていました。

 

戦友ともいえる画家「ポール・ゴーギャン」にもパリで出会います。

 

アルル時代:ひまわり↑ 耳切り事件↓

 

ゴッホは「日本の風景こそ芸術のこたえだ!」とでもいわんばかりに日本に陶酔していましたが、お金がないので行けるわけもなく。

 

それから日本風景に近いように感じたことから、南フランス・アルルに移ります。

 

画家の協同組合をこのアルルでつくることを夢見て、制作拠点となる「黄色い家」を『ひまわり』などの明るい絵で飾って待ちわびていました。

 

ひまわり:ゴッホ

出典:Vincent Willem van Gogh 127

『ひまわり』(1888)
ゴッホが描いたひまわりは全部で11点確認されているそう。

しかしだれもこない。

 

数か月後に唯一来てくれることになったゴーギャンと、アルルで制作活動をしながら過ごします。

 

しばらくすると、ゴーギャンとゴッホは芸術の面でも性格的にもとにかく合わなくなっていきます。

 

あるときゴーギャンとゴッホが喧嘩になり、ゴッホは自分の耳を切り落とします。

 

耳を切った自画像

出典:ネット美術館「アートまとめん」

『耳に包帯をした自画像』(1889)
喧嘩をしたときにゴーギャンからバカにされたため、耳を切ったといわれている。
そして切った耳たぶを娼婦に送りつけるという奇行にでたのだそう。
ゴッホって、正真正銘のヤバい奴だとおもう。

 

サン=レミ時代:渦巻く空と糸杉

 

1889年、「耳切り事件」のあと精神的に弱くなったゴッホは、パリ近郊のサン=レミにある療養所で療養しながら絵を描きました。

 

ゴッホ:星月夜

出典:Van Gogh – Starry Night – Google Art Project

『星月夜』(1889)
うねるような渦を巻いた空が、精神的に不安定な状態をあらわしている。
発作がでているときに描かれたものは研ぎ澄まされた筆致が印象的で、皮肉なことに人気が高い。

 

オーヴェル時代:銃で自殺?37歳で亡くなる

 

1890年、療養所を退所してパリ近郊のオーヴェルに移ります。

 

画作を続けていたゴッホですが、とある日、自らを拳銃で撃ち重体となります。

 

そして37歳のときに亡くなりました。

 

オーヴェル時代 :カラス・黒い鳥のいる麦畑:ゴッホ

出典:カラスのいる麦畑

『カラスのいる麦畑』(1890)
晩年の作品は、力強さのなかにどこか寂しい感じがする。

 

弟・テオの存在

 

ゴッホをみるうえで欠かせないのが弟・テオの存在。

 

パリで画商として経営をしていたテオの支えがなければ、ゴッホが画家になることはなかったでしょう。

 

ゴッホがテオに宛てた手紙はなんと651通

 

読書のこと、ほかの芸術家とのふれあいや美術館への訪問などで刺激を受けたこと、絵や構図などについての考え方などが描かれていました。

 

テオが捨てずに保管していた大量の手紙たちは、テオの死後、妻の手から息子の手に渡り、今は「ゴッホ美術館」に保管されています。

 

ゴッホは「はみ出しもの」だからいい

 

ゴッホは「はみ出しもの」だったのだとおもいます。

 

本人はいたって真面目で一生懸命やっているんだけど、それがからまわって全然うまくいかない。

 

ゴッホはピュアな「はみ出しもの」だからこそ、人を惹きつける絵を描けたのだとおもいます。

 

3分でまとまっているのでしょうか!

 

美術のブログ書くの楽しくて、とても熱心になってしまいました。