「村上春樹」より「村上龍」派が思う、おしゃれな文章とは?

村上春樹がおしゃれ度120だとしたら、村上龍はおしゃれ度20くらいだと思う。(失礼)

 

村上龍がおしゃれじゃないとは言わないけど、「色々こじらせてるな」とは思う。(そこが好き)

 

ハルキストになれなかった人間が、「村上龍派でいうところの、おしゃれな文章とは何か?」について考えを巡らせた。

 

 

村上春樹派になれない、村上龍派のおしゃれ文章コンプレックス

 

村上春樹派になれない、村上龍派のおしゃれ文章コンプレックス

 

私はおしゃれな文章が書けない。

 

糸井重里的なシズル文章を書くのはまったく得意じゃないし、村上春樹より村上龍派である。(???)

 

(ちなみに村上龍の本を電車で読んでたら具合悪くなって倒れたことがある。以来、村上龍はすぐ横になれる自宅のベッドの上でしか読まないようにしてる)

 

とはいえ、糸井重里も村上春樹も素敵だとは思ってて、むしろそっち側の人の文章にすごく憧れてる節がある。

 

アートが好きなのも、どこかでそういう「どうあがいても自分とは絶対に一生交わらない美しいもの」に憧れてるからだと思う。(もちろんゴヤとかゴッホとか、本能的にグッとくるから好きな作品もあるけど)

 

音楽でTENDREが好きなのも、ボーカルがビルエバンスに影響を受けてて、優雅で素敵な気持ちになれるからである。(これも本能的に癒されるとか聴いてて楽しいとかもあるけど、根底には憧れがある気がする。)

 

結局はどんなジャンルであれ、「おしゃれなモノ」には憧れるし好きなんだけど、本来の自分とは乖離しているから、見る前に少し身構えてしまう。

 

本来の自分

 

粋でおしゃれな文章といえば、最近noteでよく目にする気がしてて(そういう文章が流行ってるのかな?)、「そんなおしゃれな文章読むような人が私の文章読みたいわけないだろ」と決め込んでるから、なかなかnoteには手を出せずにここまできた。

 

でも私はあまのじゃくな方で、たまには背伸びして、おしゃれな文章がやりたくなるときもある。そういうときは、おしゃれなメディアの力を借りて投稿してみたりブログでも下書きしてみたりするんだけど、やっぱりどうも小っ恥ずかしいからすぐ消したりする。(いや、今の文章スタイルの方がよっぽど恥ずかしいだろw)

 

糸井重里とか村上春樹はライフスタイルとの乖離がないから、ナチュラルにおしゃれな文章を書ける。

 

つまりは「生き様がおしゃれ」なのだ。

 

でも私が真似してやったとたん、「メッキが剥がれるのも時間の問題だぞ???」な文章になる。

 

生き様がおしゃれな人って、おしゃれな場所に行かなくとも、どんな空間でも、くたびれたTシャツすらもおしゃれにしちゃう。文章でもそうで、ギャグすらも絵になるし、とにかく素敵なのだ。

 

いでたちを見なくても、文章から育ちのよさがわかる。日頃どんな言葉を浴びているか?心に余裕があるのか?ライフスタイルのすべてが浮き彫りになるのが文章だ。

 

私のように「草生えるんだがwww」的な稚拙な文章を書いてる者は、心に余裕がない。というか自信がない。虚栄心のかたまりともいえる。とにかくダサいのだ。

 

村上春樹派になれないから、村上龍派のおしゃれ文章に正解を出す。

 

村上春樹派になれないから、村上龍派のおしゃれ文章に正解を出す。

 

どうやら私は、今世ではハルキストになれなさそうだ。でもできれば今のスタイルのまま、おしゃれな文章を書きたい。

 

だったら「村上龍派ならではのおしゃれ文章とは何か?」に答えを出そうではないか。村上龍の実際の言葉を見ながら、答えに迫ってみる。

 

"美人は三日で飽きるというのは、ブスの自殺を救うための嘘である。"

 

ブスにさらっと追い討ちをかけつつ、「嘘」という言葉を効果的に使って、奥底にある「やさしさ」を引き出している。

 

強い言葉、ショックな事実、そしてやさしさの緩急で魅せていく、おしゃれなテクニックではないだろうか。

 

村上龍の次の言葉はこちら。

"この世で2番目に嫌いなことは『理解されないこと』で、1番嫌いなのは『理解されてしまうこと』"

 

すごいひねくれている。

 

「理解されない」の反対が「理解される」ではなく「理解されてしまう」なところに切実さとこじらせを感じる。(1番と2番に、どのくらい差がひらいているのかも気になる。)

 

こういう、ふくみを持たせて読み手をドキッとさせる文章は、粋でおしゃれだと思う。

 

次いってみよう。

 

"NHKは、「紅白歌合戦」という旧態依然としたイベントを続けることで、「変化など必要ない」というメッセージを毎年送り続けていることに気づいていないようです。"

意訳「いつまで紅白にしがみついてんだよ、新しいことやらないとだせえぞ

 

村上龍はよく政治とか悪しき風習についてメスを入れる。noteでやさしい〜おしゃれ文章を書いてる人は政治をズバッと斬れないと思う。

 

読み手をスカッとさせる。見方によっては、これもおしゃれじゃないです???(どんな見方???)

 

次が最後!

 

"自殺よりSEX"

 

ここに彼の美学が詰まっていると思う。あえて生々しい言葉を使って、「人間ってこうゆうもんだよ」って見せつけてくる。

 

人間の本質を、オブラートなんかに包まずに直接ついてくる、それが村上龍なのだ。

 

村上春樹の場合は違う世界線にワープするなど浮遊感があって、オブラートに包まれている感じがする。noteの住人もそこから習ってか、「オブラートに包むのがおしゃれ」って認識してる感じがする。(もちろん村上春樹も政治的発言はしてる。でもここまで下品じゃない(龍に失礼))

 

でも、村上龍はオブラートを破ってくる。ひたすら潔いのだ。オブラートがない分、喉を通るときに一回「気持ち悪い」とは思うけど、心に直接くる。そういうよさがある。

 

結論、村上龍の文章におしゃれを見出すとしたら、パンキッシュさにあると思う。

 

村上春樹と村上龍は比べるものじゃない

 

村上春樹と村上龍は比べるものじゃない

 

最後にもとも子もないことを言うけど、村上春樹と村上龍は比べるものではない!

 

同じ苗字なだけで引き合いに出されがちだけど、2人はまったく違う軸で書いていて、文章の好みも人それぞれ。

 

絶賛したし好きだけど、私も村上龍を読みたくないことが多々ある。(精神的にキツいときとかは、ホント読みたくない)

 

でも、2人にはそれぞれの美学があり、その美学が「おしゃれ」につながっているのではないかと思った。