【感想と考察】今村夏子「むらさきのスカートの女」が不気味すぎる

芥川賞 受賞作「むらさきのスカートの女」を読んだので、カンタンなあらすじ&感想レビューを残します!

 

 

ネタバレありなので、読み終わった方や読む予定のない方はぜひ!

 


  

「むらさきのスカートの女」ざっくりあらすじ【ネタバレあり】

 

いつもむらさきのスカートをはいている、前髪で目が隠れたボサボサ頭の不気味な人「むらさきのスカートの女」

 

商店街でパンを買って、お決まりの公園のお決まりのベンチに座って食べる彼女を、遠まきにみる語り手(「わたし」)

 

「むらさきのスカートの女」と語り手のイラスト

 

ひょんなことから、2人は同じホテルの清掃員として働くことになる。

 

「むらさきのスカートの女」と語り手がお近づきになっていくうちに、読者はきづく。

 

不気味なのは、実は語り手の方だったと…

 

【感想】「むらさきのスカートの女」好きポイント3つ

 

「むらさきのスカートの女」ざっくりあらすじ【ネタバレあり】

 

※ネタバレ含みます!

 

まず、全体の印象としては、めっちゃコワイです。ヒトコワの類の怖さがあります。

 

でも爽快感とか愛しさも芽生えるから不思議。

 

読後は「してやられたよ〜」って感じで、誰かに話したくなること間違いなしです!

 

① 町で名物の不気味女と、その取り巻きのイヤ〜な感じ

 

小さな町なら、必ずといっていいほどいるであろう「名物女」。(ちなみに私の地元には、全身ピンクの「ピンクおばさん」がいました)

 

そんな、本来なら光が当たらない「ウワサされている」「いじられている」「不気味がられている」人に、これでもかというほどスポットライトをあてた本です。

 

よくない言い方かもしれないけど、工場で日雇いバイトをするような、ギリギリの生活をしている「社会的弱者」の話なのです。

 

猫でいうと、ふかふかの毛並みで魚がゴロゴロ入ったエサを食べる「飼い猫」ではなくて、人間が食べこぼしたものを探しにフラフラと町にでて、その日食べるエサをなんとか探す「野良猫」のような。

 

「飼い猫」と「野良猫」のイラスト

 

自分もどちらかといえば飼い猫<野良猫の気持ちで生きているから、他人ごととは切り離せないまま読みすすめました。

 

時給1000円以下、工場やホテルの清掃員など、代わりのきく単発のおしごとを転々としている「むらさきのスカートの女」。

 

仕事場には同じようにギリギリの生活をする、品のないウワサ好きのおばさんたちが働いています。

 

「むらさきのスカートの女」は、そんな不愉快な狭いコミュニティのなかで、愛想笑いしたりみんなの真似をしてみたり、孤独ながら「なじもう」と努めます。

 

読んでいていたたまれない気持ちになるけど、当の本人たちは、そのコミュニティが人生のすべてになっている。

 

誰だって、何かしらのコミュニティに所属していて、そこ以外のコミュニティは見えにくくなっています。

 

私もそう。

 

会社の狭い人間関係のなかでしか伝わらない“暗黙の共通ルール”のイヤ〜な感じが、リアルに描写されているから、「これは自分の話でもある」と思いながら読めるのかもしれません。

 

② 読み手が擬似ストーカーになる背徳感

 

この話の一番面白いところ。

 

それは、実は語り手こそが、紛れもなく「むらさきのスカートの女」をストーキングする、もっとも孤独で寂しい女なのです。

 

「1月は少し働いた、2月は働かなかった、3月は一週間だけ働いた、4月は…」

 

そんな感じで、一度も話したことのない「むらさきのスカートの女」の動向を、やたらと詳しく追っています。

 

「語り手なんだから、そりゃ説明的だよな」と、はじめ読者は気づかないしかけになっているのがズルい。

 

私が「あれ、この語り手、ひょっとしてヤバいヤツじゃない…?」と雲行きが怪しくなってきたのは、試供品のシャンプーを「むらさきのスカートの女」の家のドアノブにかけるシーン。

 

試供品のシャンプーを「むらさきのスカートの女」の家のドアノブにかけるシーン

 

そこで完全に、「ストーカーのそれじゃん…!」と気づくことになるのです。

 

でも当の語り手は、「髪がボサボサだな。ちゃんとケアできてないんじゃないか?シャンプーをプレゼントしたいな…」と、なんの悪気もなく無邪気に行動している。

 

もちろん、淡々とヤバいことをやってのける語り手の一人称で終始展開していくので、読者もだんだん「むらさきのスカートの女」への思い入れが強くなっていきます。

 

「ああ、ストーカーってこういう感情なのかもしれない…」と、読者がストーカーの擬似体験しながら読みすすめられるのも、この小説の醍醐味だと思いました。

 

③ 所長のクズさが2人を救う

 

不気味で孤独で可哀想な「むらさきのスカートの女」と、彼女を下にみているくせに、それよりもっと不気味で孤独で可哀想な語り手の「わたし」。

 

この2人の女をつなぐのは、同じ職場の所長(男)でした。

 

所長の奥さまは妊娠中。

 

なのに、なんと「むらさきのスカートの女」と不倫をして、ホテルの窃盗事件の容疑を彼女になすりつけたかと思えば、自分はホテルに宿泊した人気女優の下着を盗むというクズっぷり。

 

自分より“下”だと思う人を巻き込んで迷惑をかけるくせに、問題を隠蔽して身の潔白を示そうとする、そんなクズ男です。

 

クズ男のイラスト

 

「むらさきのスカートの女」が所長に振り回されたことで、語り手がより一層彼女に執着するようになり、物理的な距離をついにグッと近づけていきます。

 

最後「むらさきのスカートの女」が姿を消したあと、語り手が「黄色いカーディガンの女」として彼女のポジションにスポッとはまったところで、話は幕をとじます。

 

所長の“おかげ”というか“せいで”というか、とにもかくにも2人は、これまでの窮屈な状況から少しだけ解放されたのではないでしょうか?

 

「窮屈」をひもとくと、2人をずっと取り巻いて窮屈にさせていたのは、「執着」なのではないかと考えます。

 

「むらさきのスカートの女」は所長との不倫に、語り手は「むらさきのスカートの女」に。

 

それぞれ、「これしか生きがいはない」と固執していたことが、実は彼女たちを縛りつけて、窮屈にさせていたのではないでしょうか?

 

そんなに現状の狭いコミュニティにこだわらなくても、仕事はたくさんあるし世界は広い。

 

仕事以外にも、どこに住むかや付き合う友達、恋愛する相手だって、いろいろな選択肢がある。

 

少しだけ窮屈から解放された彼女たちは、これからどんな生活をしていくのか・・?

 

それは彼女たちだけでなく、読者にも同じように問われているような気がしました。

 

「むらさきのスカートの女」で、未知の読書体験がしたくなった

 

「むらさきのスカートの女」で、未知の読書体験がしたくなった

 

「最後の最後で裏切る、大どんでん返し小説」ってよくあると思うんだけど、この本はじりじり裏切られていくから新しいです。

 

どこで気づくかは読者それぞれに違うと思うし、鋭い人なら序盤で気づけるかもしれない・・

 

こういう“知らなかった作風”とか、そのときに感じる“自分自身の知らなかった感情”に出会えるのも、読書の楽しみのひとつだと思いました。

 

難しい本じゃないから、サクサクっと読めるのも嬉しい。

 

この本に出会えたことで、また新しい読書体験がしたくなってきたのでした。