【感想と考察】今村夏子「むらさきのスカートの女」が不気味すぎる

今村夏子さんの芥川賞 受賞作「むらさきのスカートの女」を読んでしまった。

 

カンタンなあらすじ&感想レビューを残す。

 

 

ネタバレありなので、読み終わった方や読む予定のない方はぜひ!

 

 


  

 

「むらさきのスカートの女」ざっくりあらすじ【ネタバレあり】

 

いつもむらさきのスカートをはいている、前髪で目が隠れたボサボサ頭の不気味な人「むらさきのスカートの女」

 

お決まりの商店街で買ったお決まりのパンを、お決まりの公園のお決まりのベンチに座って食べる彼女を、遠まきにみる語り手(「わたし」)

 

「むらさきのスカートの女」と語り手のイラスト

 

ひょんなことから、2人は同じホテルの清掃員として働くことになる。

 

「むらさきのスカートの女」と語り手がお近づきになっていくうちに、読者はきづく。

 

よっぽど不気味なのは、じつは語り手の方だと…

 

【感想】「むらさきのスカートの女」好きポイント3つ

 

「むらさきのスカートの女」ざっくりあらすじ【ネタバレあり】

 

※ネタバレ含みます!

 

まず、全体の印象としては、めっちゃコワイヒトコワの類の怖さがある。

 

でも読後は爽快感も芽生えるし、「してやられたよ〜」って感じで、誰かに話したくなる。私がおすすめして読んだ人も同じ感想を言っていたから、今まで体験したことのない不思議な読書体験ができることは間違いない。

 

① 町で名物の不気味女と、その取り巻きのイヤ〜な感じ

 

小さな町に必ず存在している「名物女」。(ちなみに私の地元には、全身ピンクの「ピンクおばさん」がいた)

 

本来なら光が当たらず「ウワサされている」「いじられている」「不気味がられている」人にスポットをあてた小説。この時点で今村さんの着眼点は最高に狂っている。

 

よくない言い方かもしれないけど、工場で日雇いバイトをするような、ギリギリの生活をしている「社会的弱者」の話だ。

 

猫でいうと、ふだん魚がゴロゴロ入ったエサを食べて、2月22日にはチャオチュールを与えてもらえるフカフカの毛並みの「飼い猫」ではなくて、人間が食べこぼしたものを探しにフラフラと町にでて、その日食べるエサをなんとか探す「野良猫」のような。

 

「飼い猫」と「野良猫」のイラスト

 

自分もどちらかといえば飼い猫<野良猫の気持ちで生きているから、他人ごととは切り離せないまま読みすすめた。だから野良猫マインドの人にはきっと刺さると思う。

 

時給1000円以下、工場やホテルの清掃員など、代わりのきく単発のおしごとを転々としている「むらさきのスカートの女」。

 

仕事場には同じようにギリギリの生活をする、品のないウワサ好きのおばさんたちが働いている。

 

(でもこれって、資本主義とか政治の腐敗のせいで生活が苦しくなってる&その日暮らしの生活を強いられていて、心も貧しくなっているから社会問題だと思う…けどそれは一旦置いておいて…)

 

「むらさきのスカートの女」は、そんな不愉快な狭いコミュニティのなかで、愛想笑いしたりみんなの真似をしてみたりと、孤独ながら「なじもう」と努める。

 

誰だって何かしらのコミュニティに所属していて、そこ以外のコミュニティは見えにくくなっているけど、例に漏れず清掃員として働く彼女たちもそのコミュニティが人生のすべてになっている。

 

会社とか学校とか、狭い人間関係のなかに静かに流れる“暗黙の共通ルール”のイヤ〜な感じがリアルに描写されているから、「これは自分の話でもある」と思いながら読めるのかもしれない。

 

② 読み手が擬似ストーカーになる背徳感

 

この話の一番面白いところ。

 

それは、じつは語り手こそが、紛れもなく「むらさきのスカートの女」をストーキングする、もっとも孤独で寂しい女だという事実。

 

「1月は少し働いた、2月は働かなかった、3月は一週間だけ働いた、4月は…」

 

主人公の“わたし”は、そんな感じで一度も話したことのない「むらさきのスカートの女」の動向を、やたらと詳しく知っている。

 

「語り手なんだから、そりゃ説明的だよな」と、はじめ読者は気づかないしかけになっているのがズルい。

 

私が「あれ、この語り手、ひょっとしてヤバいヤツじゃない…?」と雲行きが怪しくなってきたのは、試供品のシャンプーを「むらさきのスカートの女」の家のドアノブにかけるシーン。

 

試供品のシャンプーを「むらさきのスカートの女」の家のドアノブにかけるシーン

 

そこで完全に、「ストーカーのそれじゃん…!」と気づくことになった。

 

でも“わたし”は、「髪がボサボサだな。ちゃんとケアできてないんじゃないか?シャンプーをプレゼントしたいな…」と、よかれと思って思いのままに行動している。

 

淡々とヤバいことをやってのける“わたし”視点で読んでいくから、読者もだんだん「むらさきのスカートの女」への思い入れが強くなっていき、「ああ、ストーカーってこういう感情なのかもしれない…」と、読者が追体験しながら読みすすめられるのも醍醐味だ。

 

③ 所長のクズさが2人を救う

 

不気味で孤独で可哀想な「むらさきのスカートの女」と、彼女を下にみているくせに、それよりもっと不気味で孤独で可哀想な語り手の「わたし」。

 

この2人の女をつなぐのは、同じ職場の所長(男)だった

 

所長の奥さまは妊娠中。

 

なのに、なんと「むらさきのスカートの女」と不倫をして、ホテルの窃盗事件の容疑を彼女になすりつけたかと思えば、自分はホテルに宿泊した人気女優の下着を盗むというクズっぷり。

 

自分より“下”だと思う人を巻き込んで迷惑をかけるくせに、問題を隠蔽して身の潔白を示そうとする、とんでもないクズ男だ。

 

クズ男のイラスト

 

「むらさきのスカートの女」が所長に振り回されたことで、語り手がより一層彼女に執着するようになり、物理的な距離をついにグッと近づけていく。

 

最後に「むらさきのスカートの女」が姿を消したあと、“わたし”が「黄色いカーディガンの女」として彼女のポジションにスポッとはまったところで、話は幕をとじる。

 

形はどうであれ2人で共犯者となって所長にささやかな反抗をしたおかげで、2人はこれまでの窮屈な状況から少しだけ解放されたようにも思えて清々しさを感じた。

 

「窮屈」をひもとくと、2人をずっと取り巻いて窮屈にさせていたのは、「執着」なのではないかと思う。

 

むらさきのスカートの女は「所長との不倫」に、“わたし”は「むらさきのスカートの女」に。

 

それぞれ、「これしか生きがいはない」と固執していたことが、じつは彼女たちを縛りつけて、窮屈にさせていたのではないだろうか?

 

現状の狭いコミュニティにこだわらなくても、仕事はたくさんあるし世界は広い。どこに住むかや付き合う友達、恋愛する相手だって、いろいろな選択肢がある。

 

固執していた環境や人間関係から解放された彼女たちは、これからどんな生き方をしていくのか…?

 

それは彼女たちだけでなく、読者にも同じように問われているような気がした。

 

「むらさきのスカートの女」で、未知の読書体験がしたくなった

 

「むらさきのスカートの女」で、未知の読書体験がしたくなった

 

「最後の最後で裏切る、大どんでん返し小説」ってよくあるけど、この本は内側からじりじり裏切られていくから新しい

 

どこで気づくかは読者それぞれに違うと思うし、鋭い人なら序盤で違和感に気づけるかもしれない。でも必ず気づくときがきてしまう。こんな怖い本はない。

 

こういう知らなかった描き方とか、そのときに感じる知らなかった感情に出会えるのも、読書の楽しみのひとつだと思った。

 

難しい本じゃないから、サクサクっと読めるのもうれしい。

 

この本に出会えたことで、また新しい読書体験がしたくなってきた…!

 

読書って楽しい…文学ってすごい…今村夏子さんって天才…!

 

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今村夏子『こちらあみ子』読んだら人間の黒さに引いた