ゴヤの絵は、なんで我が子を食べてるの?山田五郎さんのYoutubeまとめ

ゴヤの作品『我が子を喰らうサトゥルヌス』が、なぜ我が子を食べているのか……?

 

その理由を山田五郎さんのYoutubeチャンネルで解説していたので、ざっくりまとめます!

 

 

ゴヤの絵は、なんで我が子を食べてるの?

 

我が子を喰らうサトゥルヌス

出典:Youtube 

 

この絵の男性は、ギリシャ神話のクロノス。(サトゥルヌスは、ローマ神話での名前)

 

ギリシャ神話に「時間の神」と「農耕の神」の2人のクロノスがいて、この絵のクロノスは「農耕の神」。

 

クロノスは創造神・ウラヌスの息子であり、刈り取りのために持っているカマを使って、お父さんの男性器を切り取って殺す。(その男性器の泡から生まれたのがビーナス / アフロディーテ)

 

実の父親を殺したクロノスは、「あんたの自分の息子にやられるよ」という予言を受けて、生まれてくる自分の子供を次々に食べた。

 

5人の子供を食べたところで、子供の母親の女神・レアーが、クロノスに石を丸呑みさせて子供を助けた。その助かった子供が、全知全能の神・ゼウス。

 

ゼウスは兄弟の仇をとるためにクロノスを倒した。

 

ゴヤはなぜ「我が子を喰らうシーン」をこんなに残酷に描いたのか?

 

ゴヤはなぜ「我が子を喰らうシーン」をこんなに残酷に描いたのか?
出典:Youtube

 
この神話を題材に、ルーベンスも絵を描いているけど、ゴヤほどの残酷さはない。

 

ゴヤが晩年に描いた「我が子を喰らうサトゥルヌス」は、黒をモチーフとした14点の「黒い絵」の中の一枚。

 

ゴヤは晩年、マドリードの郊外の別荘「聾者の家」に住んでいて、 「黒い絵」は別荘の壁に飾られていた。

 

「聾者の家」
出典:Youtube

 

この家が取り壊しになるということで、プラド美術館で展示されることとなったが、本来は人に見せるために描いていたわけではなく、自分の楽しみのためだけに描いた。

 

「黒い絵」は、テーマも色調も暗い。これは、ゴヤの人生にかかわってくる。

 

ゴヤは46歳のときに病気で耳が聞こえなくなった。

 

とはいっても、そのずっと前から「聾者の家」に住んでいたから、「決して耳が聞こえなくなったことに絶望したから隠居したわけではない」というのが吾郎さんの主張である。

 

ゴヤの「黒い絵」はなんでこんなに暗いのか?

 

それなら、どうしてこんなに暗い絵ばかり描くのか……?

 

ゴヤの歴史を紐解いていく。

 

ゴヤは1746年にサラゴサで生まれ、14歳で絵を描き始める。

 

20代のとき、自力でローマに行って絵を勉強した。(お金がないのでサーカス団に混じって行ったなどの逸話もあるらしい)

 

兄弟子
出典:Youtube

 

ゴヤの兄弟子だったフランシスコ・バイユーが、スペイン・マドリードでアカデミー画家として活躍していて、その妹とゴヤが結婚した。

 

ゴヤはバイユーのつてで「王立タペストリー工場」の下絵描きになり、10年ほど続けた。

 

40歳のときに初めて、国王・カルロス三世の絵を描かせてもらえることに。

 

そして43歳でやっと国王・カルロス四世の宮廷画家になれた。遅咲きの苦労人画家なのである。

 

46歳で耳が聞こえなくなったあとも絵を描き続け、「カルロス四世の家族」も耳が聞こえなくなってからの作品の一つ。

 

カルロス四世のの家族
出典:Youtube

 

この絵は「王室批判の絵なんじゃないか?」と言われるけど、そんなはずはない。(そんなことをしたらクビになってしまうから)

 

ただリアルにアホヅラなだけ。

 

左側にいるゴヤの姿も「画家としての出超だ」と言われるけど、ベラスケスの描いた「ラスメニーナス」を意識してるだけ。

 

ラスメニーナス
出典:Youtube

 

ベラスケスはゴヤよりもっと前にスペインの宮廷画家をしていた巨匠。

 

「俺は、ベラスケスと同じくらいの、宮廷つきの画家になったんだ!」というプライドの表れとして、真似している。

 

ゴヤは、耳が聞こえなくなってからも、いたって真面目に宮廷画家として勤め上げていた。

 

つまり、ゴヤが変わったのは病気のせいではないというのが吾郎さんの主張だ。

 

ゴヤを変えたのは、ナポレオンだった

 

では、ゴヤを変えたのは何なのか……?

 

それは、フランスの革命家・ナポレオンだという。

 

スペインを攻めてきたナポレオンのせいで、カルロス四世は失脚。その後、息子のフェルナンド七世が国王になるも失脚。

 

ナポレオンの兄・ジョゼフボナパルトがスペイン国王に就任してしまう。

 

このときに描いた有名な作品が「マドリード、1808年5月3日」

 

マドリード、1808年5月3日
出典:Youtube

 

この絵は、フランス軍がスペイン市民を虐殺する様子を描いた反体制的作品。

 

実際に現場に行って描いたと言われていて、ジャーナリズム画家の先駆けとなった。

 

ここでゴヤは「宮廷画家」から「反体制画家」に変わった。

 

ところが、ナポレオンのお兄さんは国王になったあと、結構いい政治をした。

 

それまでスペインは異端審問をしたり権力行使したりする政治だったけど、フランスはそれより前に「フランス革命」をやっているから、異端審問の禁止や憲法制定などで国を整えた。

 

しかし1814年にナポレオンが失脚すると、かつてのスペイン国王・フェルナンド七世が再びスペイン国王に返り咲く。

 

フェルナンド七世は、憲法を無視する・異端審問を復活させるなど、やりたい放題。困ったスペイン国民から、「フェルナンド七世を倒そう」の革命が起きちゃうほどだった。

 

かつて仕えていた者に裏切られたゴヤは、不条理さに苦しみ、誰を信じたらいいかがわからなくなった。

 

そして宮廷画家を引退したあと、「聾者の家」にこもる。

 

そのあとフェルナンド七世が大粛清をはじめて、ゴヤはフランスのボルドーに亡命。82年の生涯を閉じた。

 

山田五郎のゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」の考察

 

ゴヤの絵
出典:Youtube

 

つまりこの絵は、スペイン王室に仕えてきたゴヤがスペイン王室に弾圧される、「親に食われる子」のようなゴヤの心境が反映されているのでは?

 

自分が親としたっていたスペイン王室に弾圧されてしまう自分自身の姿を投影したのかもしれない……