【感想】フェミニストってわけじゃないけど、どこか感じる違和感について

【感想】フェミニストってわけじゃないけど、どこか感じる違和感について

 

【感想】フェミニストってわけじゃないけど、どこか感じる違和感について

 

フェミニズム本がアツい!!!

 

特に「キムジヨン」以降、韓国のフェミ本のコーナーが書店にできるくらい押し出されている。(フェミ本専門の書店もできたらしい。人気がすごい)

 

近所の図書館にも、色々な種類のフェミ本が・・

 

言い得て妙なタイトルの、パク・ウンジ著「フェミニストってわけじゃないけど、どこか感じる違和感について」を読んでみることにした。

 

フェミニストってわけじゃないけど、どこか感じる違和感について 言葉にならないモヤモヤを1つ1つ「全部」整理してみた【電子書籍】[ パク・ウンジ ]

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“問題意識をめちゃくちゃ持ってるわけじゃないけど、なんかモヤモヤする”

 

このくらいの温度感の自分にとっては、入りやすいライトなタイトルに思えたからだ。

 

結論からいうと、この著者はゴリゴリのフェミニストだったw

 

「フェミニストってわけじゃないけど、どこか感じる違和感について」のココがすごい

 

フェミニストじゃないのに感じる違和感の正体

 

すごいポイント① 日常ベースで深く考えさせられる

 

この本のすごいところは、「当たり前になってるけど、これって実はおかしくない?」という問題提起を、日常生活に落とし込んでいることだと思う。

 

たとえば、「おばさん」って言われることはすごくマイナスイメージ(ガミガミうるさい・お節介・女を捨ててる)だから、女性は一生懸命シワをなくそうとスキンケアを頑張って、なんとか「おばさん」から脱却しようとする。

 

でも「おじさん」は、歳を重ねるごとにダンディーさが増していくような、ポジティブなイメージもあって、「おばさん」に比べると抵抗感が薄い。(もちろんシワをなくそうと若造りする人もいるだろうし、マイナスイメージを持つ人もいるかもしれないけど)

 

そういう、「同じような文脈で使われる言葉なのに、男女でニュアンスが全然違うこともあるよ〜!」っていう浅瀬から入り、「嫁姑問題」「中絶」「セクハラ」みたいな深淵まで踏みこんでいくからイメージを持ちやすかった。

 

すごいポイント② 韓国ならではの文化と言語づかい

 

日本人とジェンダー感覚の近しい韓国人のエッセイなので、文化の違いを心地よく感じながら読めるのもいい!!!

 

たとえば韓国では、少し前に「味噌女(高級志向な女性)」「キムチ女(金銭面で男性に依存する女性)」といった言葉が流行っていたらしく、「勝手にカテゴリ分けされたくない」というのが著者の主張だった。

 

これは「キムジヨン」もそうだし、フェミ本にかかわらず韓国文学全般にいえることかもしれないけど・・知らなかった韓国の文化を知れるのが純粋に楽しい。

 

フェミニストじゃないけど、どこか感じる違和感の正体

 

「フェミニストではないけど」と言いたくなる理由

 

最近、同世代(30歳前後)の未婚女性と喋っていて気づいたことがある。

 

私も含め、彼女たちは「結婚したくない」んじゃなくて、「結婚することで自己消滅しそうな気配がする」ことにモヤモヤしているのだ。

 

選択的夫婦別姓に賛成/反対とかも、わたしの場合は海外にそこまで行くわけでもないし、別に苗字が変わったからって「だからなんだ」って話なんだけど、自分のアイデンティティが消える気がして、なんとなくモヤモヤする感覚は否めない。

 

フェミニストってわけじゃないけど、どこか感じる違和感の正体は、どれだけ女性的なやさしい彼氏であっても決して埋まらない“不条理に対するモヤモヤ”なんだと思う。

 

結婚したがる男性にモヤった

 

結婚したがる男性にモヤった

 

会社で「あ〜結婚したいな〜マッチングアプリやろうかな〜」と結婚に飢えている30半ばの男性社員を見ると、「そういうモヤモヤを背負ってないんだな」と不条理に悲しくなる。(その人が悪いわけじゃないけど、「女性特有の事情もわからずに冗談でもデリカシーのないことを言えてしまうから結婚できないんじゃ・・?」とすら思う。)

 

女性は結婚で犠牲になることが多いから、そのぐらいの気軽さでは婚活できないのに、歳をとれば市場価値が下がるから「なるべく早く・・」と焦って婚活しなきゃいけない。

 

婚活パーティとかで「女性無料」が多いのはなぜか?と思っていたけど、そういう不条理さを背負って挑んでいるんだから、逆にお金を払ってほしいくらいだ。(参加したことないけど)

 

女性なのに「おれたち」を使う心理

 

女性なのに「おれたち」を使う人の心理

 

会社でチームをまとめている仕事がデキる女性社員が、よく「おれたち」という言葉を使う。

 

一人称なんて自由だし、和ませようとふざけて言ってるのかもしれないけど、私はこれにもちょっとだけ引っかかっている。

 

これは推測でしかないけど・・別に「私たち」でいいのに、あえて男性同士の絆を深めるような、少年漫画によくあるようなニュアンスの「おれたち」という言葉をチョイスしているのは、もしかすると彼女なりの男性社会における処世術なのではないか?(もしその意をはらんでいるのに無意識で使ってるなら、完全に社会の呪いにかかっている)

 

男性社員をさしおいてチーム長をやっているなんて誇り高きニューノーマルなのに、それでもなお「おれたち」を使って男性社員のやる気を損なわないように士気を高めようとしているのが、私には少し寂しく感じたのだ。

 

そして何を隠そう私も、社会の呪いにかかった女のひとりである。ホモソの塊であるアイドルヲタクたちに、使う言葉を影響されているのだ。蔑称に違和感を感じづらくなっているし、人のことを見下すという意味では「www」とかもそうかもしれない。

 

言葉に込めたいニュアンスが近いから使うけど、ふと「これは自分の言葉じゃない」と思うことがある。

 

歴史を見ると、これでも女性は自由なほう

 

歴史を見ると、これでも女性は自由なほう

 

とはいっても昔の男性優位の社会(完全に女性に人権がなかった社会)から比べると、今の時代の女性はかなり自由だと思う。それは不条理と闘ってきた先人あってのことで、今この時代の不条理と闘うのは今を生きてる人にしかできないのだ。

 

そうして重い腰をあげて闘っている人が増えてきているおかげで、なんの知識もなかった私や同世代の人たちがこうして「言われてみれば、なんかモヤる・・」ってことに気づきはじめた。(30歳になり、色々なことがリアルになってきたからだとも思うけど)

 

「フェミニストではないけど」と言いたくなる理由

 

「フェミニストではないけど」と言いたくなる理由

 

重い腰をあげて闘ってきた先人に感謝しているけど・・本のタイトルにもある「フェミニストではないけど」という枕詞をつけたくなる気持ちがすごくわかる。

 

なんでかというと、いいわけしたいから。

 

「フェミニストです」といえば、「ああ〜猿のようにキーキーうるさく女性の権利を訴えるアレね!」みたいなレッテルを貼られるから。

 

男女平等になれば男性の自殺者が減るかもしれないし、お互いの幸せの形に近づくために譲歩しあったら選択肢が増えるかもしれない。(たとえば主夫がふつうの選択肢になるとか)

 

だからいい面もあると思うんだけど、実際は「かもしれない」の推測にすぎない。だって、男女平等が現実になった世界を誰ひとり見たことがないから、想像で補うしかない。

 

証拠がないから「感情論」として片付けられてしまう。「感情論」で片付けられてしまうと、もうこの話ができなくなる。だから慎重になってしまう。

 

感情論の怖いところは、「AじゃなくてBだと思う」と言っても「それってBじゃなくてAとも言えない?」と論破されやすいこと。

 

そこに結果が伴っていないから、そもそも「AじゃなくてBだと思う」に共感する人以外は誰も耳を貸してくれないのだ。

 

重い腰をあげて闘っている人が「感情論でわめき散らかす人」と片付けられ、それに恥じらいを感じて「フェミニストではないけど・・」と言いわけする自分が本当に情けないけど。「よくわかんないけど・・らしいじゃん?」のニュアンスならまだ会話しやすいというのがホンネだ。

 

実際、ジェンダー問題については最近あちこちで言われ出したことだし、知識に自信がないのもある。でももし知識があったとしても「専門家とか権威のある人から正しい内容を周知してほしい」と思う。素人がペラペラ喋ったことが、よくない伝言ゲームで一人歩きしてほしくないから。

 

だから違和感について私の言葉で話せることは、事実と感想が限界になる。

 

フェミニストじゃないけど、どこか感じる違和感とどう付き合うか?

 

フェミニストじゃないけど、どこか感じる違和感とどう付き合うか?

 

私以外の女性は、いろんなことを器用にこなしてしまう。

 

だから「家事をやりながら仕事もできちゃう人」だっているかもしれないし、求められればキャパオーバーだとしてもやってみようとする。(仕事も家事もできない私はマジで何)

 

男女平等が無理なら、せめてそれが報われる世の中になってほしい。

 

今って、“頑張り損”してるからツラい人が多いんじゃないかな???(同じだけ仕事を頑張っても男性よりお給料低いとか、主婦はラクだと思われてるとか)

 

とはいえ、私は政治家でも起業家でもないので、しくみを変えるために選挙にいくことくらいしかできない。

 

自分が今の仕事でできることは、不条理を助長するような記事を書かないこと。

 

「おかしいと思ったことは別に言っていいんだよ!!!」ということを周りに態度で証明すること。

 

私は仕事に生きてないからその辺のプライドがなく、「立場上なにも言えない・・」とかあんまり考えずにすぐ聞いちゃうタイプなので、それを生かして言えなさそうな人の代弁をする。(でもお節介だと思われたくないから、そこのバランスむずい)

 

「女子アナのように、おしとやかで一歩引いて常に笑顔で」…っていう女性に求められる“我慢の美学”が同調圧力をつくってる気がするから、できる範囲で突破してくしかないのかなと思ったりしてます。(そういう意味では、田中みな実って一石を投じたよな・・)